興南高校サヨナラ勝ち、もう一度あの感動をご覧下さい。
昨日の9回裏 (石見智翠館)5 × (興南高校)4 からの興南高校のさよなら勝ち!劇的な熱いドラマがあり盛り上がりましたね!!!
まずは感動のシーンをもう一度ご覧ください。
沖縄県民がどれ位、甲子園を愛しているか
私が沖縄に移住して来て感じた事!沖縄県民は甲子園が大好き!
私が沖縄に移住して来て感じた事!沖縄県民は甲子園が大好き!こんなにも高校野球を愛している県民は何処を探してもいません。一番甲子園を愛してる県民それは沖縄県民だと思います。
大げさに言うとこの時は,沖縄の経済が一時的にストップ!道路の交通量が著しく減り、街からは人が消えゴーストタウンへ、家電量販店のテレビ前には人だかりが出来き特設スペースが設けられたりもします。
沖縄県民が一丸となって応援
職場では仕事そっちのけで社員全員でテレビを囲み応援したり、店舗ではお客さんも店員も一緒になって高校野球を応援するといった事も良く目にします。
無論試合中に用事があるとはいえ、むやみに電話をかけてはなりません。話で聞くところによると試合中にほとんど電話をかける人がいないようで、沖縄県民の暗黙のルールとして浸透しているようです。またコールセンターで働いていた友人に聞いたところ、高校野球の試合中に知らずに電話かけたところ、「誰だこんな時に電話かけて来るのはっ!」、「今ですかっ!!」と怒鳴られる事もあったそうです。
沖縄県民が甲子園を愛している理由
沖縄 甲子園エピソード
沖縄県民が何故これ程までに高校野球を愛してやまないのか、それには理由があるようで沖縄甲子園の歴史について少し調べてみました。
沖縄が米軍占領下で沖縄から内地に行くにはパスポートが必要だった頃1958年の甲子園の話です。沖縄からは首里高校が特別枠という形でしか甲子園に出場できなかったそうです。
試合に負けてしまった球児が甲子園の砂を持って帰ったところ那覇空港で植物防疫法にふれてしまい、沖縄県内に持ち帰ることは出来なかったという出来事がありました。
戦後苦しい状況だった沖縄県、本土とは違った歴史の中で生まれた反骨精神から沖縄県民が一丸になり『琉球の心意気を見せてやれ!』『お前らならできるぞ!』と応援していた文化が今も受け継がれているようです。
オジィの願い
以前に甲子園春夏連覇したときの県民の盛り上がりっぷりといったら地球がひっくり返ったような感じで、以前の職場では『ようやく沖縄の力を見せつけることが出来た』と言って泣いていた沖縄の占領下時代を生き抜いてきたオジィの時代を象徴する一言が印象的でした。
これからも沖縄の良き文化として甲子園で、もっともっと盛り上がっていきましょう!
興南高校優勝目指して、ちばりよー!!!