世界遺産の中の勝連城址
こんにちは狩俣です。みなさんの周りに世界遺産はありますか?
今回は、そんな世界遺産にまつわるお話で、その中でも私が一番好きな勝連城址を紹介したいと思います。
現在、日本には19の世界遺産登録があり、その中で沖縄の世界遺産は「琉球王国のグスク及び関連遺産郡」と呼ばれ、9つの場所がひとくくりにされています。
琉球王国時代に想いを馳せながら世界遺産巡りをするのも琉球史のロマンが垣間見え、また違った沖縄を発見することができるかもしれません。
ちょっと豆知識。沖縄の世界遺産。2000年に登録
5つのグスク(グスクとは城のこと)
「首里城」・・那覇市。琉球王国の国王の居城、1992年に復元。
「中城城址」・・北中城村。15世紀初期の築城。護佐丸が勝連城址の阿麻和利を牽制するために居城したことでも有名。
「座喜味城址」・・読谷村。15世紀初期に築城。護佐丸が居城。
「勝連城址」・・うるま市勝連。琉球王府に立ち向かった阿麻和利(地元では英雄)のグスクとして有名。
「今帰仁城址」・・琉球王国統一以前の14世紀ごろの築城。三山時代の北山王の居住。
4つの遺産郡
「園比屋武御嶽石門」・・首里城公園敷地内、守礼門の近くにある祈願所。
「玉陵」・・首里城公園の西側にある石造建築物。第二尚氏王統の歴代の国王が眠る墓。
「識名園」・・那覇市。琉球王家、最大の別邸。
「斎場御嶽」・・南城市。琉球最高の聖地。始祖・アマミキヨが国始めに造った七御嶽の一つと言われている。
勝連城址
那覇空港から高速道路を利用して約1時間。沖縄本島の東海岸にある勝連半島の付け根あたりに位置しており、断崖絶壁の丘陵にそびえ立ち難攻不落と言われた勝連城址ですが、城壁は女性的な曲線を描き、頂上からの眺めは360度さえぎるものは何もなく美しい景色を目にすることができます。
まるで「天空の城ラピュタ」を彷彿とさせるたたずまい。
この時代に、この場所にこれほどの建築物があったことが感慨深い。
息を呑む眺望。中城湾・金武湾。海中道路など一望できる広大なパノラマをぜひ体感してみて。
注意点!!
高低差はかなりあり、急な階段が続くので車椅子やベビーカーでは頂上までいけませんが、申請すればギリギリのところまで車を乗り入れることができるそうです。足腰に不安がある方も頂上までの見学は避けたほうが安全です。
階段はすべりやすいので、スニーカーなどすべりにくいものを履きましょう。
夏など、炎天下での見学時は熱中症や脱水にくれぐれも気をつけてください!
見学時間の設定はないですが、照明などないので日没後の見学は要注意。
ここ勝連城址。驚くことに入場料は無料、大型の無料駐車場も完備。休憩所にはちょっとしたお土産や勝連城址からの出土品が展示されてたり、地元の食事どころや観光スポット紹介などあるのでぜひ立ち寄ってみて。
肝高(きむたか)の阿麻和利
勝連城址を語る上で避けて通れないのが10代城主、阿麻和利。
地の利を生かした中継貿易で経済力と軍事力を持ち、勝連に繁栄をもたらせた。
肝高とは「英雄」のこと。
阿麻和利の歴史をざっくりと説明すると
■琉球王国のころに勢力をつけた阿麻和利を脅威に感じた国王が、中城城址に忠臣の護佐丸を住まわせ阿麻和利を監視、牽制させてた
■さらに国王の娘を阿麻和利に嫁がせる政略結婚を行い、親族とすることで脅威を払拭しようとした。
■阿麻和利は、親族になったことを利用し、国王に「護佐丸が国王の座を狙ってる。謀反を企ててる」と嘘の話を行い、国王はそれを信じた。
■国王は、阿麻和利に中城城址を攻めさせ落城させる。そのとき国王軍を引き連れてたため、護佐丸は忠誠を敗れないと自害する。
■阿麻和利は、次に琉球王国を倒そうとするが、それに気づいた嫁(国王の娘)が逃げ出して国王に報告し、阿麻和利は返り討ちにあう。
このことから、阿麻和利は反逆のヒーローと呼ばれ、琉球王国国立に貢献し忠誠を貫き通した護佐丸は忠臣として名を残す。
これには諸説あり、もちろん見方を変えれば国王を狙う阿麻和利の策略も戦国時代ではあたりまえのことのように思う。
ぜひ、沖縄の歴史とロマンを感じられる世界遺産巡りをしてみてください。
そしてあなたなりの好きな世界遺産をぜひとも見つけてください。それではまた!
施設情報
沖縄県うるま市勝連南風原3908
098-978-7373
年中無休。台風時などは休憩所は閉館。