松山とは?
沖縄最大の歓楽街といえば、松山があまりにも有名です。
58号線松山交差点の西側に位置し、メインストリートの琉石(りゅうせき)通りは、
居酒屋や飲食店が軒を連ね、水商売の店舗数に関しては県内随一です。
日中は物静かな町並みでが、日が沈むころから徐々に人々が集まり始め、明け方まで人影が絶えない眠らない街とも表現できます。
接待や観光客の社交場としての松山を紹介してみます。
飲み屋がたくさん!
沖縄で、「飲み屋」とは、主にスナック、キャバクラ・クラブ・ガールズバーのことを指すらしく、居酒屋を総称しての表現ではないです。
「次どこいくば〜?」
「松山の飲み屋でいいやんに〜」
この場合の行き先はスナックになります。
「次どこいくば〜?」
「松山に、飲みいくか〜」
この場合の行き先は居酒屋になります。(諸説在り)
いずれにせよ、松山には「飲み屋」も「居酒屋」もたくさんのお店があります。
人気の有名店や穴場の名店、ク↑ラブやク↓ラブ、ゲイバーや怪しいお店など、
ありとあらゆるお店が集まってます。
松山名物 キャッチのお兄さん
顔を赤らめた観光客に群がる黒スーツの男性は、すべてお店のキャッチ(客引き)です。
全国的には、客引き行為が禁止されてるのですが、ここ松山ではキャッチの人数が歩行者を上回ります。
観光客でなくとも、夜に松山を歩くと必ず声を掛けられます。
キャッチA「お兄さん、50分3000円でどうですか?」
キャッチB「うちは、60分、4000円でどうですか?」
キャッチC「特別に、70分、5000円でマンツー。どうですか?」
と言った具合に続々とキャッチが集まってきます。
お店に呼び込んだ人数で、歩合制の報酬もあるので、
びっくりするくらい必死です。
交渉姿勢を見せると、360度キャッチに囲まれます。
初めての方が心配するようなボッタクリ店は、一切ありません。
もし、そのような店があったら、松山自体の評判が悪くなり、同業者がその店を摘発するそうです。
誇りを持って松山の歓楽街を守る兄ちゃんは、見た目はヤンチャでも仕事は真面目(?)です。
ただ、飲み屋に行く訳ではないのに、囲まれるのもよろしくないので、
一言「家に帰りますー」と
宣言すれば、キャッチの兄さんは次の獲物に狙いを変え、一瞬にして解放されます。
「飲み屋」って何だ?
ラウンジタイプの店内で、夜の蝶とお酒を愉しむ場所です。
松山には、60軒ほどの飲み屋があるそうで、相場は60分4,000円だそうです。
グループと同数の女性が同席する場合は、それ以上の金額になり、
週末や繁忙期によって金額が変わります。
また、客側に女性がいる場合は、その方のお代はタダらしいです。
松山交差点には、無料案内所もあります。
観光客や初めて飲み屋に行かれる方が、案内所を介してお店に入店する方法もあるようです。
入店後、時間内はテーブルに置かれた泡盛が飲み放題です。
隣に付いた女性のドリンク代を客側が負担するシステムもあまりないらしく、
キャッチの兄ちゃんが提示した金額が総額となる明朗会計です。
(2018.5.1追記)
最近は女性のドリンク分を負担するシステムが増えてきたようです。
(泡盛を飲めないキャストも多いらしい…)
それでもかなり良心的な価格帯が多いらしいので、ドリンク代に関しても入店前に確認することをおすすめします。
酔っぱらった男性客を扱うプロの女性が接客してくださるので、
下心は抱かず、女性との会話を楽しむと良い。と諸先輩方は申しておりました。
この記事を参考に入店される方は、紳士な男性として、大人の夜を愉しんでいただければと思います。
「飲み屋」以外はないの?
那覇で唯一のシミュレーションゴルフバー「ちゅらかん」
私がハマっているのが、シミュレーションゴルフバー「ちゅらかん」です。
那覇で唯一、シュミレーションゴルフが楽しめます。
1時間飲み放題付きで、世界の名だたるコースをプレーできます。
台風等でゴルフ場がクローズした時には、特に大活躍します。
http://churakan.com/(外部サイト)
ゴルフ好きの方はもちろん、ゴルフ未経験者も楽しめます。
熟成肉が美味!和牛のたんや
著名人も足繁く通う有名店です。炭火で焼いた熟成肉は、絶句するほど美味です。
プロ野球のキャンプシーズンは、客がほぼ野球選手という状況になるようです。
和牛のたんや(食べログページ)
お値段はそれなりにしますが、接待にも使える有名店なので味は格別です。
ただ、お店がクラブやスナックが入る雑居ビルなので、入店までに必ずキャッチに囲まれます。
生ライブを毎日開催 GOLD DISK
飲み屋(スナック)の場合、グループにいる女性は、タダで入店できますが、男性側が遠慮してしまいます。
そんな時に一緒に盛り上がれるのが、GOLD DISK(旧ケントス)。
アメリカンなフードをいただきながら、オールディーズやロカビリーの生ライブを楽しめます。
松山今昔物語
松山イコール飲み屋。というイメージが定着してます。
いつから歌舞伎町みたいになったのか気になったので、
昔の松山を良く知るるり子さん(88歳)に、松山のことを伺いました。
繁華街に変わりはじめたのはいつ頃からですか?
るり子さん:松山2丁目にあった問屋街が西洲(イリジマ)に越したあたりから。平成に入った頃からじゃないでしょうか?
繁華街になる前の松山はどんな街だったのでしょうか?
るり子さん:戦争で那覇市全体が焼け野原になり、戦後何年か経ってからやっと那覇市に入れることになったので、松山がはじめて区画整理した場所だと聞いております。
日本銀行の那覇支店が松山にできて作られ松山2丁目に問屋街ができました。
人々の行き来もにぎやかになり、拝所が所々にあって、公園や緑地も多く子供たちの遊ぶ場所として、住んでいる人たちの休憩やジョギングをやったりと憩いの場所として楽しんでいました。
その中で少しずつ飲食店ができて、近隣につとめる企業の人たちが増えたために高級のお店が多かったです。
住宅街として、多くの人が住んでいました。
夜は静かでしたが、日中は人々の行き来もあり、とてもいい環境で良い街でした。
今の松山と昔の松山はどちらが好きですか?
るり子さん:昔の松山が好きです。
最後に
時勢とともに松山の街の顔をつくる人たちは、今日ではキャッチの兄ちゃんや妖艶な女性なのかもしれません。
ルミ子さんのお話を伺うことで、ほんのひと昔は、今とは全く違う色の街だったことがわかりました。
変化した街を「夜の繁華街」とだけ片付けてしまうのは、少し乱暴な気がしてしまいました。
また、大人男子限定ではなく、大人女子が楽しめるお店もたくさんあります。
では、今宵も夜の蝶を取材してまいります。